立春

 

新しい時代の変化に

淡々と

胸を躍らせる日々が過ぎ

早いものでもう立春

 

 

ふと

これからの生き方を巡らす

 

より武装をはずし

どれだけ

子供心に帰って

素の自分で生きられるか

力が抜けて行く自分が

どうなっていくのかを

楽しみに

 

 

 

 

実家で

母がずっと取っておいてくれた

小学生の私の日記帖

記念に自分で持っておくよう

渡された

いらないよと言いつつ

処分する前に

読んでみると

自分のアホさぶりと

日記を書く姿勢の

適当さ いい加減さ が凄くて

びっくりするほど

この頃はまだ

のびのび自由に

やれていたのだなと

 

 

 

小学1年生の時

担任の先生は

年配の女性だった

マンガに出てきそうなくらいの

〇〇女史って感じの

The teacher

一見こわおもてだった

  

その先生とやり取りを

思い出し

エピソードを3つ

思い出した

 

 

 

 

この先生が出した宿題は

算数のプリントの裏に

自分で升目を書いてその中に

好きな漢字を書いて

練習してくること

 

子供は大概 

勉強は嫌いなもの

 

もちろん宿題も勉強も

字を書くのも、本を読むのも

大っ嫌いだったので

知恵を働かせた

 

より大きな升目で

簡単な漢字を書けば

すぐ終わるし楽だー

一緒に宿題をした友達も

いいねって感じで

にやにやして

出来るだけ大きな升目にトライ

 

翌日

その宿題について

先生のお言葉

漢字の練習の宿題ですが

凄く頑張った人は130文字ですが

一番少ない人は24文字です

こんなにも差があるのは

どうしてでしょう!!と

(はっきり文字数も記憶にある)

 

 

ふ~ん

えっ 24文字って

私のことじゃん

後で友達に怒られたねと聞くと

友達はかろうじて

私より升目が多かった

がーん

嫌味の矛先は私一人かよーと

変な罪悪感にいじけた

でもおかしいじゃないか

不機嫌になるなら先生

最初から

何升以上で書きなさいって

言えばいいのに

いいアイデアは

残念な結果に

と冷静に思ったものだ

 

また

算数のテストを返された時

「100点は一人だけでした」

といわれ

ふ~ん

って私じゃん!!

でも

最後の問題はになっている

なんで100点なの?

ばか正直だったので

後で先生のところに

テストを持っていき

「先生ここがなのに100点です」

といったら

すごい怖い顔でムッとされた

だから

さっき言ったでしょって!!

 

えっ なにか言ったけ?

なんで怒るんだろう

正直に言ったのに

ぜんぜん腑に落ちなかったが

 

最後の問題は

一年生には難しい問題なので

間違っていても

かまいません的な

ことを言っていたかも

それでか・・・

話を聞いてないからって

ムッとしなくてもね~

そもそもなんで一年生に

できない問題だしたの?先生

ぜんぜん100点は喜べなかった

 

 

 

とある日

遅刻なんてしたことなかったのに

遅刻をしてしまい

学校に行って

こわごわ先生の所に行くと

「なんで遅れたんですか?」

ときかれ

「う〇こが出なかったからです」

と真剣に答えた

 

〇〇女史の顔は

さすがに苦笑していた

あの頃は

検〇というものが

定期的にあって

真面目な私は

絶対に出さなければと

けなげに頑張った

 

 

 

こんな風な

とんちんかんながら

頑張っていた小学一年生の

自分をほほえましく思い出した

 

 

 

 

そんな 私は

字を書くのが大嫌いです

宿題が嫌いですと

日記に書きなぐるほどの

めんどうくさがりやだった

 

The teacher は

怠慢な暗号並みの

私の文字を読み解き

お手本のような美しい文字で

お返事を書いてくれたいた

 

そのなかに

とてもうれしい

言葉がひとつ見つかった

 

「〇〇さんはあなたと仲良くなり

勉強を頑張れるようになりました

あなたのおかげです ありがとう」

( ゚Д゚)

 

 

勉強嫌いが本当に

友達の勉強を促せたのか

ちょっと驚き

かみ合ってなかった

先生との交流でも

私のいいところを何かしら

認めてくれていたんだと

今更ながら嬉しく思えた

 

とはいえ

小学一年生の私に

「おかげです」の意味は

誉め言葉としては

ちっとも響いてなかっただろう

 

 

 

自分を振り返っても

子供の感性とは鋭いものだ

あなどってはいけない

子供は

常に大人の感情の表出

理不尽さを受け取り

繊細に感じとっている

大人の前にひれ伏すしかなく

黙っているだけなのだ

 

 

小さかった頃ははまだ

それでも良き時代だった

〇〇女史は

大人と対等な言葉を使い

とんちんかんで子供な私にも

丁寧な言葉で

敬意を払ってくれていた

なんと

素敵な先生だったんだろう

 

気付いてなかった自分を

今更見つけることが出来た

先生ありがとう

  

 

 

今の私は

あの頃の先生と同じ年代

子供にも周囲にも

理不尽な感情を無意識に

押し付けてきたこともある

日記は

子供目線を思い出す

いい機会になった

 

 

 

 

 

今の世代の子供達は

宇宙意識を持ち合わせて

生まれてきている

 

新しい世代の子達のほうが

親や先生と思える程

素晴らしく新しい感性を

持っている 

手出しは不要という感じ

 

 

 

人の成長を待つというのは

とても根気のいること

だけれど

手を出さないことが  

一番の教育なのかもしれないし

こちらが

教育されているのかも

しれない

 

自主性の押し付けと

真の自主性を見守る違い

 

 なんにしても

育児にしろ教育にしろ 

正解のない新しい時代

これからの教育

教わり、教えるという形は

大きく変化するのだろう

 

お姉さんとしては

新しい世代の子達に

いろいろ教わりたい

 

 

 

 

ムクムクと

活動をはじめ

成長が始まる

立春

 

自然と同じく人も

ほっとくほどに

勝手に育つものなのだろう

 

 

 

 

ありのままで

もう自由

なんでもできる