七夕

 

777

 

ラッキーセブンな

今年の七夕

お願い事が強力に叶うかも 

 

 

七夕と言えば

 

七夕伝説 

やるべきことを忘れ

相手に溺れ

遊んでばかりいた二人は

罰として

一年に一回だけ会うことを許された

 

 

 

笹の葉さらさら

幼稚園や学校でも

子供の頃から行事を楽しんで

お願いごとを短冊に託した

 

 

 

季節を感じ行事を楽しむ

地球ならではの

豊かな感覚

日本らしい風情がある

短冊をかいたり

綺麗な七夕飾りも美しい

竹や笹も涼しげで心を満たす

 

 

 

 

でも

この伝説にまつわる

ロマンティックな

ストーリーにも

古い刷り込みが少々

 

自分さえ許可すれば

遊んで暮らせるのに

働かざる者食うべからず

遊び呆けていると罰を食らう

といったような

古い教訓じみたものがみえる

 

短冊をぶら下げて

お願い気分を盛り上げる

平安貴族的な風習もいいものだが

イメージして感じきることを

幼少期から習慣化されていたら

お願い事はもっと

簡単に叶えられてきたのかも

 

願い事を叶える力は

悪用しないためにも

子供の頃から

分別を学ぶ必要がある

にしても

大人だってその分別はあやしい

 

新しい時代のお願い習慣は

短冊もいいけれど

ビジョンを視覚化する

こちらのほうが確実かもしれない

 

 

 

 

  

七夕伝説の

「罰」は

旧時代の都合のよい

語り口にも思えるが

他にも解釈があった

 

「自分の使命を忘れてはならない」

 

というものらしい

「使命」

やや重すぎる感はあるが

その方がまだしっくりくる

 

 

 

 本来の力を思い出し

この地球でやりたいと決めて来た

体験をするためには

 

自分をほったらかして

他人のことばかり考えるのは

ちょっと違うかもしれないよ

 

そんなら

年に一回程度の交流にしたら

自分に専念できるでしょ

恋愛にしろ相手が誰にしろ

人間関係の

偏り過ぎは自分を見失うよ

 

まずは自分軸をしっかり保ち

この世で本当にしたかったことを

思い出して行動してねという

お知らせなのかもしれない

 

 

毎日眠くて

ぐうたら

まったりしている

私にとっては

少々耳の痛いお知らせ

だけど

動くときは動くからね

これでいいの

 

 

 

相手に過度に夢中になる

相手の軸に自分を合わせる

恋愛に限らず

親子、夫婦、兄弟姉妹

全ての人間関係

 

極端に誰かに肩入れする

意識を向けすぎエネルギーを注ぐ

これをし続けていると 

本当の自分の望みが

薄らいでいく

  

好きと嫌いは背中合わせ

相手への先入観や期待が

大きくなりすぎる程

期待通りではない反応は

ひとたび

嫌いに傾きやすい

 

相手を攻撃したくなったり 

こんな人だと思わなかったと

怒りや不満にベクトルが向き

大っ嫌いな悪役にも

仕立て上げることができる

 

逆に

嫌いなんて思っちゃいけない

なんていう罪悪感から

自分を責めていたり

なんとも極端な

感情が出てくるものだ

  

  

  

 

好ましい関係でも

波長が合わなくなると

違和感を感じるような

映像を自分で生み出し

引き寄せることがある

 

違和感を無視して

それをモヤらせ続けると

怒りや大嫌いがでてくる

 

本当は嫌いではなく不快感

自分の違和感を

信じて 感じきって

気づいてあげなかったから

 

まず違和感に気付けたら

ひとつクリア

互いの波長が合ってない印

嫌いにまでならなくても

そこじゃないよと気づけばいい

 

シンプルに解釈すれば

それで済むという楽な話なのに

さらりと切り替えれる人もいるが

ぐちゃぐちゃ考えて

問題にしたがる

人間の悪い癖

 

 

 

だから

気にもする必要がない人が

脳裏に浮かんで

ぐるぐる離れないこともある 

相手の感情のキャッチなのか 

自分の想念なのか 

そうなると 

いくらでも過去の映像が

感情を伴わせて頭の中で

再現される

自動思考パターン

 

思考パターンに振り回され て

相手にまた意識が向くのだから

不思議な機能だ

こうやって

目覚めないように

してきたのかもしれない

 

 

 

好きも嫌いも大差はない

相手との関係性を通して

自分の中の

未消化な感情があるのだろう

 

相手もあまり関係ない

人との違いやズレを通して

自分でも気づかなかった奥底にある

感情をあぶり出し

自分を知るチャンス

 

もう役にたたない感情なら

早く解放してあげて

という警告

気付いて腑に落とせるまでは

ぐるぐるめぐる

 

 

人間関係を手放すとは

人を手放すというより

縛られていた

自分の感情や制限に

気づいて認めて

解放してあげることなのだろう

 

 

 

 

 

すべて体験

なら

何で嫌っちゃいけないの?と

自分を探ってみた 

 

 

そうしたら出てきた 

 

 

不快感が相手に伝わると

また跳ね返ってきそうな警戒心が

不快な感情は押さえつけて

我慢させようとする

妙な先読み思考

 

見放すような罪悪感

 

新たな関係性や変化を求める

期待や不安

  

そんなものがはびこっていた

 

だから

思いっきり嫌ってみてらいい

よきシグナルだから

 

 

 

好きにも嫌いにも

依存があり

 

好きではなくても

ムカついたりして嫌いでいれば

そのステージから離れないで済む

本当に

好きでも嫌いでもなければ

気にもとめない

いい意味での無関心でいられる

自分に集中できる

 

 

ぐるぐるする不快感は

結局

 

変化への怖れだった

 

 

 

 

 自分の想念で繰り広げるドラマ  

嫌いには

ネガティブな感情を

てんこ盛りに乗せることもできる

 

根底では

嫌いなのではなく

 

実は

そんなに興味がなかった 

そんなに好きでもなかった

私にはあっていなかった

私はそこじゃなかった 

 

変化しないの?

という気づきのサイン

 

 

 

 

 

 

私の中には

こうしなければ

これをクリアしなければ

先に進めないという

勝手な思い込みの

イニシエーションがあって

 

それほど

関心のない人や物を

好きにならなきゃと思い込ませ

自作のミッションの

ハードルをあげていた

 

 

なんとなく

自分の人生でこなしたいことが

わかったつもりでいて

今世の課題がクリアできなければ

生まれ変わってまた同じ課題を

一からやり直すなんて

ぜったいに

まっぴらごめんだー

という

強烈な怖れの観念を抱いていた

だから

自分でなんとかしようとして

流れに委ねられなかった

 

  

今をおろそかにし

来世の心配をしていたのだから

とても気が早すぎる

そのわりに変化しないよう

変な観念を大事にしていた

 

 

 

 

誰かへの

過ぎた好き嫌い

期待もあこがれも批判も

役に立ちたい気持ちも

認められたい気持ちも

 

自分への過小評価

対相手で埋めたくなる

自他への愛が無い

 

 

それ要らなかったわ

 

 

 対相手は

どこまでいっても 

誰であっても自分の鏡 

いつだって

私を育て私を知る

バロメーター

 

 

 

 

 

観念とは面白いもの

 

寝ている間にすべて

物事は上手く運ぶという観念を

完全につくりあげれば

そのように生きる世界を

作りだせるというのに

 

仏陀の涅槃でもいいわけ 

この意味が全然違ってもいいわけ

今の私の段階の気づきでいいわけ

 

深い涅槃の境地に気づけるまで

右往左往し

 

感情や思考がブレなくなるまで

右往左往し

 

涅槃じゃ物足りないから

右往左往し

 

 

そんな自分が

ギャグに見えてきたら

いい感じ

相手の反応や感情も

ギャグに見えてきたら

もっといい感じ

 

 

好きも嫌いもひっくるめて 

全て愛を持って受け入れ

愛ある無関心になれたら

 

次のステップへ

 

 

 

嫌いも好きも

愛すべきギャグなのだ

  

愛でさらりとかわせる

そんな変態に

私はなりたい

 

 

 

 

 

 

 これまでの地球は

純粋に自分にシンプルな愛を

注いでこなかったのだから

これが自他共に難しいところ 

 

やはり

自分が自分を好きなり

自分で満たせることが優先 

  

好き♡ 好き♡ 大好きは

基本自分であれ 

 

 

 

 

 

今年の短冊は

 

もっともっともっと

自分を好きになる

 

さらさらきらきら

生きる

 

全ての関係性を面白さに 

変えられる

愛の変換装置を

どうか 

私にください 

 

としたためるとしよう

 

 

 

 

 

 

 

五色の短冊

古代中国の陰陽五行説に基づいた色で

初めは五色の糸を飾っていた

すべてのものは「陰・陽」の相反する2つの側面を持ち

(木)・(火)・ (土)・(金)・黒・紫(水)

五つの要素を根源とする説を表している

 

 

短冊は「私がかいた」自分軸である

空から見ているのは

高い意識から見守る自分自身なのかもしれない

さらさら生きて見せようぞ

 

日本語は素晴しい音霊