選択の後押し

 

 

まだまだ日中は陽射しも強く

秋の実感がないままに

もう11月になろうかとしている

 

昔ハロウィンのかぼちゃに

似ていると言われたことがある

嬉しいとは言い難い

微妙な可愛さがうりだ

 

 

 

昨日

先週

先月

何をしていたのか

思い出すのが難しい

 

何かしようとして

移動した先で

目についたものに反応し

違うことをしているうちに

初めにしようと思っていたことが

ぜんぜん思い出せない

 

そんなことが多々ある

 

あれと、これと、それと、と

いっぺんに用事をこなそうとしても

一つこなしているうちに 

後をすっかり忘れてしまう

 

お歳のなせる業ともいえるが

そうとも言いきれない

 

 

絶対にしなければならない

と言う重いことでもなく

そういう責任を極力手放すと

お歳のなせる業も

リラックス脳を育む

面白エピソードに変っていく

 

 

一問一答のごとく

一行動一用事

これしかできなくなっているものの

所作の密度

意識の集中度は高くなり

これまでのタスクは

欲張り過ぎだったとわかる

 

 

マルチタスクは

あるに越したことはないが

新しい時代は 

こうした処理能力は

無くても大丈夫な気がする

 

これも新しい生き方の地慣らし

だということにしておこう

 

 

 

 

 

今年も終盤に向かい

10月~12月

この期間の過ごし方が

来年を予兆している

などということを聞いた

 

ならば

自分の過ごし方は

思考でダメ出しせずに

望みを優先、先取りして

小さなことから

実践しておくことにする

 

どんな場面でも

したいを選んで生きる時代

 

 

 

その深い意味が

大切な人に

ぜんぜん

伝わっていなくても

それでもいい

 

 

おしつけるつもりは毛頭ない

正しいわけでもない

 

 

 

でも

私のスペースだから

思った事は

何度でも書いておく

 

 

 

 

 

 

コロナは

これまでの常識を覆し

これから社会は

変わっていきますよという

わかりやすい合図となった

 

ストップした社会の中で

生き方を顧みて 

自分を整える時間を

地球人みな平等に与えられた

 

仕組まれたこと

であったとしても

単なる怖い感染症でもなく

人類への問いかけであり

恩恵でもあり

お試しでもある

 

 

その間、その後も

自分との対話を

後回しにしてきたのなら

後追いで何度も壁にぶつかる

 

 

 

自分がどうしたいのか

それを問われた時に

自分の望みがわからない

とりあえず他人に合わせる

 

自分で考えず

成功者の意見、有識者の意見に

従えば間違いないだろう

そういった社会だった

 

その方が楽だったし

上手くいかなかった時

誰かのせいにもできた

 

社会通念に合わせることが

美徳で当たり前で常識

という刷り込みで

つくりあげた社会は

限界にきてしまった

 

 

コロナで

とても分かりやすく

社会の転換期が伝えられた

 

 

これまでと同じ社会に安心感を抱き

感染症や戦争さえ終息すれば

元の世界に戻るだろう

そんな思いを拭いきれないまま

これまでの生き方には

何の疑問もなく時を過ごす  

 

自分の本音も探らないまま

元の社会通念で

生きようともがくのか

 

変化を乗り越え新しく

よりよい自由な社会の中で

望む人生を生きようとするのか

 

 

最終的に 

あなたの生きたい

世界は

望みは

本音は

 わかりましたか?

一環して問われ続けてきた

 

 

 

日々の問題にぶつかった時

こういったこととは

全く無関係の問題だと感じ

とりあえず

なんとか対処法だけを考える

 

行き着けば

ほぼ同じ問いが見えてくるのに

そこには意識が向かず

自分を掘り下げるチャンスを

素通りしていく

 

 

徹底的に問われていることを

理解しようとしない限り

同じ繰り返しを生き続ける

 

 

 

 

 

目覚めてゆく過程において

誰もが同じように

いずれはぶつかることがある

 

先に気付けた人

目覚めた人が

体験を惜しげもなく披露する

同じような道に迷った時

道標になればと 

 

体験からの学びを得た人にしか

伝えられないにじみ出た表現は

説得力がある

 

あなたはわたし 

わたしはあなた

それが根底にあるから

できること

 

見る側と一致すれば

よき道標にもなれば

一致しなければ

ただの文字の羅列

余談失敗談にしか

見えないだろう

 

 

 

 

入ってくる情報は

自分の周波数と合わなければ

見聞きしたくないものだ

自分の痛いところに

目を向けたくないと

不快にさえ感じる

 

その内容も理解できない

見たとしても

意図がわからない 

興味がわかない

 

だから

その言葉を

ただただ

素通りさせて終わる 

 

それが良い悪いではなく

周波数の違い

 

 

 

昔みた情報を

見返してみると

びっくりするくらい

理解できることや役立つことが

あったりする

 

一方

何でこんな情報に

興味をもっていたのだろうと

思うこともある

 

これが今の私の周波数なんだ

という気づき

自分に一致する情報しか

 結局生かせないしくみ

 

 

シェアは

他人の体験を

我が事に捉えたり

自分の体験と

照らしあわせて

腑に落としこんだり

自分に生かすもの

  

手っ取り早く

答えや変化をくれるものではない 

 

 

 

この時代で個人が

人として目指すものは

  

「自分を生きる試み」

 

そういう過渡期に

同じ時期、同じ場所、同じ生命体で

生かされているのだから

ともに上昇する方が力強い

だからシェアが生きる

 

 

 

   

魂の経験として

自分に戻っていく体験は

肉体を脱いだとしても

次の段階を目指し変わらず続き

 

今世できなかったことは

長い年月をかけてもクリアするまで

また一から経験するのだろう

 

自分の本音で生きる試みから

逃げたとしても

ずっとつきまとう課題

 

同じ体験がしたければ

それもよし

強要はどこにも存在しない

 

 

 

今この地球の

この現状でできることは

自分の本音を知り理解し

それに切り替えて行動すれば

生きやすいよ

という

先を見越した提案

 

 

古い社会で

麻痺してしまった感覚を

自分自身で取り戻そうとしない限り

ゲームの基盤はずっと同じまま

変わることはないだろう

 

ちょっと前まで

私もずいぶん

同じ基盤で

ぐるぐるしていたのだから

こう言いきれる

 

 

 

あれこれ

理由をつけて

自分に蓋をしたまま

何かで誤魔化しつづければ

 

きっと来年も

誤魔化したままの

自分で生きるのだろう

 

来年だけならまだしも

習慣化された生き方を

疑問にさえ思わなくなってくる

  

基盤を選ぶのは自分でしかない

 

 

 

 

世の中には

沢山の自分を整える

メソッドやツールがある

自分が心地よく続けられる

ツールを根気よく活用しよう

 

精神世界は目に見えないから

効果がわかりにくい

ちょっとかじっては止め

新しい情報を梯子して

満たすだけでは

自分の内側には辿り着けない

 

 

 

 

 

 

瞑想は

自分の声を聞くのには

やはりかかせないツール

 

瞑想が苦手なわたしは

静まり返った意識になるまでには

ほどとおく雑念ばかり

瞑想と言えるのかもわからないが

自分の雑念に気付くことも 

瞑想の一歩だと思う  

 

何かすごい悟りが開ける

なんてことはないにしても

静かに過ごす時間を

意図的につくることはできる

 

そうした習慣作りが

自分のしたいや自分で生きるに

気付くきっかけになる

 

慌ただしさの中に

埋もれすぎていては

静寂な自分との対話は難しい

 

 

昔は

瞑想なんてしたくもなかった

だから

軽くジョギングしながら

自分が感じている事や思考を

整理していった

 

今は散歩が一番の瞑想時間

 

形にこだわらなくてもいい

自分にあう

楽な方法があればもっといい

 

 

深く自分と

自己対話すること

それでしか 

本当の自分の望みなんてわからない

 

人に答えを求めたって

それは

自分の望みじゃないかもしれない

 

答えは全部自分の中にしかない

 

 

これまでの社会を抜ける時 

他者の意見や考えではなく

あなたの考え

あなたのしたいこと

そために何を選択し

行動しますか?

 

 

 

ずっと

問われ続けている

この問いや情報にも

そろそろ

終止符がきている

 

 

  

だから

痛くても

恩恵は

あるうちに

利用するほうがいい

 

 

感染云々よりも

もっと大事なことを

見逃さないために

 

 

 

 

どちらにしろ 

  

かぼちゃのお化けは

どんな選択でも

あなたが選んだものを

 

後押しするよ♡