先取りクリスマス

 

 

急に寒くなり

季節の変わり目の

グラデーションは

何処へいったのだろう

 

この異常気象から

四季というものが

どれだけ

味わい深い感覚なのか

貴重な体験なのかと

改めて実感させられる

 

 

 

 

この秋は

気温の落差は激しくとも

淡々と過ぎていった

 

思考のゴミ捨て作業

功をなし

 

絵を描くために

かなり集中した時間を過ごせた 

こうして集中できるワークを

ソウルワークというのだろう

 

 

やっと

思考、感情ごちゃごちゃを忘れ

気づけば

没頭していた自分がいた

 

何かことをなすことよりも

この過程がご褒美であり

この時間がお宝タイムだった

 

 

没頭している自分は

囚われから離れた自分そのもの

私だけの世界に入り込める

 

こういった感覚が増えるほど

満たされた感を求めて

他の代替で埋めるのが

勿体無い気持ちになる

 

 

 

 

日々の思考から解放されて

ぼうーっと無意識に

集中出来ること

そういったものが

いくつあるだろう

 

 

何か大きな事を成すに限らず

日々の生活にも

の瞬間はあるだろう

 

家事でも仕事でも

散歩でも遊びでもいい

些細な一つ一つの

動作に意識が集中していると

思考のざわめきから

離れてい瞬間がある

 

 

茶道 華道 弓道 合気道など

道がつくもの、能などの踊りも

日本人の独特な所作

丁寧で集中した行動から

無意識層に繋がる手立てを

確立していたのかもしれない

 

型や動きを通して

自分に繋がる

 

 

 

そこまで

自分を律しなくても

仕事や家事のお勤め

散歩もSNS投稿も

心をこめしたいことであれば

自分に繋がる

立派なソウルワーク

 

他者のためでもいいけれど

他人目線ではなく

何より自分のために

 

 

 

家事は仕事とみなされていない

風潮だったが

立派な仕事であり能力だ

丁寧にやろうと思えば

きりがないほど

無限にすることがある

 

 

衣食住

体やお肌のお手入れ

お掃除 料理 身だしなみ 

身につけるもの環境のお手入れ

 

そういった身近なことから

誰でも没頭して自分を満たす

自分のソウルワークは見出せる

 

 

お手入れ…

書きながら自分のお手入れが

一番行き届いていないのが

少々心苦しい

でも義務で必要もない

やりたくなったら没頭しよう

 

 

どんなことの中にも

義務をかしてすることも

楽しんでやることも

どちらにもできる

できないと思えばできない

 

どれを選ぶこともできるのだから

したくないならしなきゃいい

自分の感覚優先で

 

 

義務といものは

重荷でありながら

便利な道具でもある

自分を満たす手段は考えなくても

否応なしに自分を埋められる

 

働くという概念も

家族のため自分のため

生活するためにお金を稼ぐ

という人もいれば

むしろ

働きに出ることのほうが

息抜きになる

という人も多い

 

それだけ人は何かをしていないと

生きている実感を感じられない

ものなのかも知れない

 

 

 

 

 

朝散歩をしていると

出会う確率が高いのは

高齢の男性

ほぼ毎日たむろしている人もいる

 

特に男性は

社会的な繫がりの役割を

こなしてきた側面が強く

仕事を引退してからの

自分の時間ほど

持て余すものはないのだろう

 

何かやるべき事が

無くなった時こそ

本当に自分を満たせるものは

なんだろうかと考えさせられる

 

 

高齢者の退職後の日々は

どのようにみえるだろう

のんびりただ気楽に

過ごせているのだろうか

 

  

その様子から未来の私達にも

言えること

垣間見えることがある

 

 

 

 

 

誰かの面倒を見る必要も

必死で働いていた仕事も

必要なくなった

80を過ぎた私の母は

 

「何かする事がないと生き甲斐がない」

つぶやく

 

 

 

たむろしている

高齢の男性達について 

 

「みんなしんどいんよ」 

 

と言っていた

 

その意味が

少しわかる気もしてきた

 

だからこそ

義務という

苦痛にも思えるドラマを

あえて演じてこれたのだろう

  

自分だけを生きれば良くなった時

そんな時にこそ

見えてくるものもある

 

 

 

 

近い未来

 

お金を稼ぐ必要も無くなった時

役割から解放されてしまった時

縛るものがなくなった時

 

解放が永遠に続くなら

自分で自分を満たすことが

できるだろうか

 

より若い世代にも降りかかる

自分の時間を

どの様に過ごすか

または

どの様に埋めるのか

 

自由な選択権が与えられた時

生きるを満たあり方は

没頭する と 埋める

似て非なるものだが

どちらでも良いし

どちらも必要なのだろう

 

 

想像力を別のもので埋めてきた

世代にとって

新たな生き方に適応するには

若者よりも時間がかかってしまう

 

非現実的に思えてもいい

少しずつ

ビジョンをイメージしていく

 

そんな練習は

早いに越したことはない

 

簡単そうでいて

ビジョンを描くことに

慣れていなければ

 

想像とは

意外に難しいものだ 

 

 

 

未来は自分で想像し

感覚やタイミングがきたら

自分で行動に繋げていく

 

これからますます

自分の暮らしを創造できるのは

自分でしかない

 

 

 

  

 

さっそく

一足早いクリスマス

望む冬至を

思い描いてみる

 

 

 

 

 

 

 

 

戦場という舞台の闇に光を灯した

美しいこの旋律

研ぎ澄まされたソウルワーク